Profile

プロフィール

ニック発作の不安と、借金、そして怖い人達の取り立てに怯え、神経を削られていく毎日. . . 。

だが、1度狂った歯車はなかなか戻らない。

それでも這い上がることを諦らめず、挫折と過ちを繰り返しながら、コピーライティングと出会う。

それからずっとコピーライティングのみを追求し、必死にもがきながら前に進んでいる・・・。

名前:岩田正
職業:美容師、へメイクを経て、合格率1%以下の超難関試験に突破したあと、ECC認定セールスライターに。
入念なヒアリングと、妥協のないリサーチから、誰に何をどのように伝えればその商品が最も売れるのかを考える仕事をしています。

年齢:40’S

出身地:愛知県(人生の約半分は東京、現在は愛知)
好きな芸能人:ダウンタウン、千原ジュニア、有村架純、石原さとみ、浅井健一、チバユウスケ
好きな音楽:ストレイキャッツ、レディオヘッド、ケミカル・ブラザーズ、Boom Boom Satellites、B.J.C.、TMGE、ショパン

好きな映画:素晴らしき哉、人生!、ショーシャンクの空に、市民ケーン、砂の器、スタンドアップ、キューブリック作品
座右の銘:死ぬこと以外はかすり傷!

最近のマイブーム:マインドフルネス、筋トレ、ファスティング
夢:PC片手に全県制覇

きれいなタレントやモデル達と毎日一緒の仕事

はじめまして、セールスライターの岩田と申します。
どうぞよろしくお願い致します。

みっともない自分の過去をどこまで晒せばいいのか迷いましたが、テレビでしくじり先生を見ていると、赤裸々に語りながら飾らない本当の自分を晒す姿がちょっとかっこいいし、語ったあと、なにか1つ人間的にも大きくなったような感じに見えるので、私も恥ずかしい過去を勇気を出してすべて晒していこうと思います。

(私自身もしくじり先生に余裕で出られるくらい、しくじった人生ですが . . . )

今、私はECC認定セールスライターとして、ECCビジネススクールやその他企業の広告文を書いたり、美容室専門でWEBマーケティング全般のコンサルをしたりしていますが、以前は全く畑違いのヘアメイクをしていました。

CMや雑誌の撮影時、タレントやモデルの髪をセットしたり、メイクしたりする仕事です。
仕事がら、毎日きれいなタレントやモデルに囲まれ、よく友人達に羨ましがられたものです。
思い出しても恥ずかしいのですが、自分でもその頃はそういう生活に優越感を感じ、自分に酔っていました。

聞かれてもいないのに、 「今度〇〇ちゃんと撮影なんだ」とか、 本当は仕事の打ち上げで一緒だっただけなのに、 「この前〇〇ちゃんと飲んでさ~。〇〇ちゃんってテレビの印象と違うんだよね」 なんて、仲の良い友達アピールしたり。

薄っぺらいにもほどがあります。
本当に低レベルの人間でした。

こんなやつが近くにいたら、確実に嫌悪感が走りますよね?
私は、そんな低レベルでイヤなヤツだったのです。

自分を偽り続けた結果、病んでいく心

華やかに見えるヘアメイクの仕事ですが、実際の仕事は甘いものではなく、撮影現場は常にひりつくような緊張感でした。
ヘアメイクですから、少しでもミスすれば、もろに相手のイメージを損なってしまいます。
それだけは絶対にNGです。

当然タレントやモデルは、美意識が高くレベルの高い要求をしてきます。
ちょっとでも気に入らない髪型やメイクをすると、厳しいダメ出しもよくありました。

怒りに満ちた眼差しで、冷たく 「やり直して」 と言われると、心臓が縮み上がり、冷や汗が出てきます。
本当に撮影現場は、常に強烈なプレッシャーとの戦いで、それが怖くて逃げ出したいと思うこともよくありました。

また、わがままな人もいましたし、横柄な人もいました。
そういう人達と仕事をするときは、前日から胃が痛くなったものです。

華やかな世界で人気もある憧れの職業と言っていいと思いますが、そのプレッシャーは並大抵のものではありません。
そのプレッシャーを紛らわすために私は、タレント、モデル、フォトグラファー達と派手に遊ぶようになりました。

当時最先端と言われていたクラブに毎晩のように繰り出し、どんちゃん騒ぎの毎日。
テレビや雑誌で見たことある有名人を紹介され、一緒にVIPルームで飲んだり、一緒にフロアで踊ったりする事がものすごい優越感でした。

そうやって知り合った有名人の自宅パーティに呼ばれたり、ハーフのモデルと付き合ったり。
絵に描いたような業界人的なオサレで刺激的な毎日を送っていました。

しかし、根っから田舎者の自分に、こういう派手な世界は本質的に合わなかったようです。
徐々に心が悲鳴をあげ始めました。

今思うと、当時は完全に自分を見失い無理をしていました。
明らかに虚勢を張り、自分を偽っていたと思います。

なめられたら終わりとばかりに、とにかく自信満々な自分を演じるのに必死でした。

しかし、自信満々な態度とは裏腹に、本音では自分に自信が無く、それがバレないように虚勢を張ることで偽りの自分を保つ毎日。
業界人と一緒に仕事したり遊んだりする自分に酔っているだけで、中身は空っぽ。

空っぽどころか自分を偽っているので、人から理解されるわけもなく、大騒ぎしていても常に孤独。

最先端でいることの優越感。
同時に、それを失うことへの恐怖。

自分が望んでいた最先端の世界に間違いなくいるはずなのに、徐々にそこから逃げ出したいという気持ちが大きくなっていきます。
「自分が望んだ世界にいるはずなのに何かが違う . . . 。」

行き場のない感情を抱え込み、徐々に心が病んでいきました。
仕事では相変わらず強烈なプレッシャーの毎日。

プライベートでハメを外しても、常に空虚感で心が満たされない。
完全に自分を見失い、とうとう心が正常を保てなくなってパニック障害を発症してしまいます。

死の恐怖とともに両親の顔が浮かぶ

初めてパニックが発症したときは、冗談じゃなく”死”を覚悟しました。
その時のことは今でもハッキリ覚えています。

突然何の前触れもなく、心臓に爪を立てられたようなとでも表現すれば良いのか、とにかく尋常ではない感覚が襲ってきたのです。
当時はパニック障害のことを知らなかったので、 「これが心筋梗塞か」 そう思いました。

心臓が押しつぶされそうな圧迫感。
心臓の動きがハッキリ分かるくらいの激しい動悸。

体中から脂汗と冷や汗が混ざったような汗。
身体が震え、喉も渇き、視界もぼやけ、意識が遠のいていきました。

それとともにアタマがおかしくなるくらい強い恐怖感。
それに対する非現実感。

その非現実感を遙かに凌ぐ死に対する現実感。
死への覚悟と生へのものすごく強い執着心。

言葉で説明すると矛盾だらけの表現になりますが、とにかくこんな経験は初めてで、マジで田舎の両親の顔が浮かんできました。

(ヤバイ . . . 父ちゃん . . . 母ちゃん . . . 。)
普段ろくな親孝行もしてないのに、最後はやっぱり両親の顔が浮かぶんだなと、そこだけ妙に冷静だったのを覚えています。
意識が遠のく中、とにかく震える指で119番にダイヤルしました。

(早くきてくれ . . . 死んでしまう . . . 神様 . . . 助けてください . . . お願いします . . . 。)
そんな恐怖のなかで待つ数分は本当に長く感じました。

やがて救急隊の人達が来て、初めて救急車に乗り、酸素マスクを付けられ、心電図を計りながら病院に向かいます。
「大丈夫ですか?」
時折気を遣って救急隊員が声をかけてくれる言葉に、子犬のように怯え、震えながらうなずくのが精一杯の私。

「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ」
シーンとする車内で、心電図の機械的な音だけが異様に早く響くなか (大丈夫だ、大丈夫だ) と、ひたすら自分を励ましていたのを覚えています。

そして病院に着き、一通りの検査を終え、結果を聞くと、意外にも 「心臓には異常が見当たりません」 そう言われました。
ただ、医者はこうも言いました。

「パニック障害などメンタル系の病かもしれない」 と。

発作の恐怖に縛られ、生きた心地がしない毎日

心臓には異常がないはずなのに、その後も度々パニック発作が起きました。
そうなると、常に 「いつ発作が起こるか分からない」 という恐怖に縛られ、まともな精神状態で生活を送ることができなくなってしまいました。

そして負のスパイラルにハマっていきます。

いつ起きるかわからない発作に怯え、不安が不安を増幅させ、ついに、起きているときは、常に動悸と胸の圧迫感で苦しいし、寝ていても、ほとんど毎日夜中に心臓の激しい鼓動と恐怖で飛び起きてしまうようになってしまいます。

本当に心が休まるときがありませんでした。

(これから俺はまともに暮らしていけるだろうか . . . )
と、その頃、夜中によく泣きじゃくっていたのを思い出します。

当然こんな状態なので、まともに仕事ができません。
徐々にお金もなくなり、ついに借金生活。

発作の恐怖と共に、 食費は?家賃は?返済金は? とお金のやりくりにも悩まされる毎日。

パニック障害は心を折られましたが、お金の問題は頭がおかしくなりそうでした。
そしてついに生活は困窮を極まり、文字通り 「生きていくのに必死」 という最悪な状態になってしまいます。

電気、ガス、電話が止まり、遂に怖い人達が家に来る

そんなある朝、起きて異変を感じます。

(電気がつかない . . . 。)
遂に電気を止められました。

確か秋も終わる頃だったと思います。
2日くらい真っ暗の中、エアコンもつかず寒さに震えながら過ごしました。

たった数千円の電気代も払えない自分が情けなくてどうしようもありませんでした。

貯金もろくにせず遊びまくっていた自分を、責めて責めて責めて責め続けても自分を許すことができず、今までの生き方を悔やんで悔やんで悔やみました。
しかし、いくら後悔しても現実が簡単に変わるわけがありません。

それから、立て続けにガス、電話と止まり、本当にド底辺に落ちてしまいました。

ちなみに水道も払っていなかったのですが、水道は止まりませんでした。
何度も”この日に止めます”という督促状がポストに入っていましたが、水道が止まったことは1度もありません。

しかし、こんなことがありました。
いい思い出ではありませんが、ある日、 「水道料金を払ってないのは世田谷(約40万世帯)で岩田さんだけです。」 と集金の人から手書きのメモが残されていたのです。

それを読み、そっと涙して 「ごめんなさい . . . 。」 と呟いたことを今でも覚えています。

そんなド底辺の生活を送る日々でしたが、ある日、パニックとは異質ですが、同レベルの恐怖をもう1つ味わうことになります。
家で引きこもっていたら、けたたましくチャイムを鳴らし、ドアが壊れるくらいドンドン叩きまくりながら、 「岩田さぁ~~ん、いるんでしょ、出てきてください」 と大声で呼ばれます。

一発で分かりました。
「法の外にいる怖い人が来た」 と。

当然出る勇気など無く、部屋の隅で恐怖に怯えてやり過ごすしかありません。
そんなに長い時間ではなかったと思うのですが、とにかく恐怖にすくんでいました。

しばらくして静かになっても、まだいるかもしれないという恐怖から、物音を立てずに何時間もやり過ごしたのを覚えています。
こんなことが度々あり、いよいよ精神的に追いつめられていきます。

(これ以上はムリだ)
そう思った私は、親に頭を下げて、まとまった借金を返しました。

治験かアフィリエイトか

全額借金がなくなったわけではありませんが、とりあえず怖い人が来なくなり、督促も来なくなってホッとしたのか、約8年続いたパニック発作の頻度も、この頃から少なくなり、週2~3日くらいは働けるくらいになりました。

しかし、まだまだまともな生活ができるような金額を稼ぐことはできません。
私は、在宅で稼ぐ方法を見つけようと毎日ネットで必死に探しました。

そこで目をつけたのが、治験とアフィリエイトです。

どちらにしようか悩んだ結果、治験はやはり何かあったら怖いし、継続できるものではありません。
ですので、アフィリエイトを選び、その中でも報酬の高いアダルトアフィリエイトに取り組むことにしました。

結果から言うと2ヶ月半くらいで月7万くらい稼げるようになりました。

これはすごく嬉しかったですね。
少額でもお金が入ってくることで随分安心感を感じました。

さあ、ここから大逆転が始まる・・・のがこういうプロフの定番ですが、バカな私はそうはいきませんでした。
ここから大逆転どころか大失敗をしてしまうのです . . . 。

ノウハウコレクターを超えるノウハウジャンキー

あなたも経験があるかもしれませんが、アフィリエイトなど、お金を稼ぐ系のセールスレターは (絶対ウソだろ) と思う半面、 (イヤ、もしかして . . . ) と思わせる力があり、無視することが難しいですよね?

私も、アダルトアフィリエイトは見よう見まねで自力で稼いだのですが、 (このまま自力でやるより、情報商材を買えばもっと楽に早く大きく稼げるんじゃないか) と考えるようになりました。

そこで、ある商材のセールスレターを真に受け、初めて情報商材なるものを買ってみたのです。
感想は (3万払ってこれかよ!) でした。

だまされたとは思いませんでしたが、ハズレを引いたと思いました。

だまされた自覚があれば、それに懲りて2度とそんなものに手を出さないのですが、運悪くハズレを引いただけで、もっといい情報があるはずだとばかりに、情報商材を買いまくってしまいます。

(今度こそこれ一本に絞り、絶対にやり遂げる)
いつも買ったときはそう決意するのですが、少し作業してはうまくいかず投げ出す、 その繰り返しでした。

(もう絶対情報商材など買うものか)
こういう決意も何度もしたのですが、都合のいい言い訳で自分をだまし、必ずどこかにセールスレター通りの夢のような情報商材があるはずだと盲信して、突き進んでしまったのです。

ノウハウコレクターどころか完全にノウハウジャンキーでした。

結局、あるはずのない理想郷を求めて買った数は50以上。
高額塾にも7つほど入っています。

おそらく合計で軽く300万以上つぎ込んでいるはず。
でも、回収したのはおそらく半分もいっていません。

完全な赤字です。

もちろん、お金はありませんので、ほとんどカードで払い=借金です。
少しづつ減ってきた借金もすぐに今までと変わらないくらいまで増えてしまいました。

それどころか親への借金も残っていますから、今まで以上の借金です。

バカはいつまでたってもバカ。
そしてバカはいつまでたっても搾取される運命。
悲しいかな、それが現実でした。

(アフィリエイトで一攫千金なんて夢、自分には向いていないし、実力もない)
挫折と屈辱に打ちひしがれながら、私はアフィリエイトで稼ぐことをあきらめました。

300冊以上の読書で思考を再構築。クズ中のクズの自分を叩き直す

アフィリエイトで稼ぐことをあきらめた私は、地元愛知に戻り美容師として堅実に働き始めました。
そして同時に独立に向け、色々なことを真剣に学びはじめたのです。

まずはお金がなかったので、ひたすら図書館で本を読みました。
名著とか古典とか呼ばれる高いレベルのものばかりを選び、とにかくインプットの質を高め、腐りきった思考を変えようと思ったのです。

その頃は、自己啓発やビジネス系中心に、少なく見積もっても年間300冊以上読破しています。
自己啓発では、中村天風、安岡正篤、ナポレオン・ヒル、デール・カーネギー、オグ・マンディーノといった超古典から、9歳の哲学者中島芭旺くんまで。

ビジネス系では、ドラッカー、コトラー、ポーター、ミンツバーグ、神田昌典、ここらの有名所は一通り読んでいます。

CD・DVD教材でも、ナポレオン・ヒル・プログラム、HSSプログラム、神田昌典、ロバートキヨサキ、ダン・ケネディ、アルフレッド・アドラー、など、気になるものは積極的に聞きまくっていました。
(もう時効かと思いますが、お金がなかったので、知り合いのツテで借りたものをダビングしたり、ヤフオクで買ったりしていました)

それらは、今でも読んだり、聞いたり、見たりして、私の思考の土台になっています。
振り返ってみても、当時は本当に貪欲に学んだと思います。
おそらく人生の中で最も勉強した時期です。

そして同時に、私自身も大きく変わりました。
まず、思考が変わり、その後、人間関係に大きな変化が現れるようになったのです。

決定的だったのが、ある成功哲学のセミナーで一緒に学んだ人たちとの出会いです。

東大卒の起業家、銀座の開業医、30代で田園調布に一軒家を持つ超エリート、法曹界の人達、某県ナンバーワンの飲食業オーナーなど、パニック障害で引きこもっていた頃には考えられない人達と交流できるようになりました。

そうして出会った人達から計り知れないほどの好影響を受け、私の人生も少しづつ上向くようになっていきます。
そして、ある人の一言で私の進むべき道がはっきりしたのでした。

東大卒超エリートに文章を褒められ、コピーライティングを学ぶ

ある時私は、成功哲学を一緒に学んだ東大卒の超エリートから
「岩田さんの文章は、読み手を引き込む力がある」
と褒められました。

自分ではそんなこと1ミリも思っていなかったので、驚きました。

確かに元々書くことは好きでした。
こうして記事を書くことも苦痛ではなく、むしろ楽しく感じます。

ですが、中学からまともな教育を受けていませんし、高校も2年持たずに退学。
文章は、小学生以来ちゃんと書いた記憶がありません。

書くことは好きでも、文章力となると話は別です。
全く自信はありません。

なので、東大卒の超エリートにそう言われても全くピンときませんでした。

しかし、ここで面白いシンクロが起こります。
立て続けに文章を褒められるようになったのです。

FBのメッセージで知らない人、数人から 「文才がありますね」 と言われたり。
「何か文章を勉強したんですか?」 と聞かれたり。
「感動しました。泣きました」 とメッセージを頂いたり。

といったことが度々あるようになったのです。

こう続くと、もしかしてこれは自分の強みなのかもと思い始め、 (文章をビジネスに活かせないだろうか?) そう考え始めました。
そこでピンときたのが 「コピーライティング」 です。

なぜコピーライティングかと言うと、私はコピーライティングの力がどれほど強力かということを身をもって体験しているからです。
過去、情報商材を買いまくったのは、間違いなくコピーライティングの力によって感情を動かされたからですから。

「それならば私の強みと思える文章を、コピーライティングでより洗練させ、今まで培ってきた知識やノウハウと合わせれば、客観的に見てもかなり強い武器になるのではないか?」

「と言うより、リアルビジネスと違って、文章中心でビジネスが進んでいくWEB上で、これ以上の武器はないんじゃないか?」

そう思ったのと同時に視界がハッキリと明るく照らされた気がしました。
あれこれムダなノウハウに手を出す前にやるべきことがあったなと反省しつつも、これで進むべき方向が明確となり、そして私は、コピーライティングを本気で学び始めたのです。

市販されている関連書籍を読みまくり、うまいと思ったセールスレターの写経も書き続けました。

そんな中、偶然見つけたのが、ECC売れっ子コピーライター養成講座”です。

セールスライターとしてデビュー

ECC売れっ子コピーライター養成講座は、認定試験に合格すれば即、ECCさんから仕事をもらえるというのがウリです。
私は迷うことなく、受講を決めました。

認定試験に受かればECCさんから仕事がもらえるのも魅力でしたが、それ以上にECC認定コピーライターになればハクもつくし、ECCさんのような大きな会社との実績があれば、営業に有利になるだろう。
打算的ですがそう考えたのが理由です。

関連書籍を読みまくっていたので、ノウハウ自体は新鮮なものはないかも? そう思って受講したこの講座ですが、実際に学び始めると、シンプルながらも深く掘り下げたノウハウで、体系立ててまとまっており、学べば学ぶほど新たな気付きが生まれ、自分の中の知識が深まりながらまとまっていく、そんな感じでした。

(これは間違いなくセールスライターとして自分の中の軸になる)
そう確信した私は、10ヶ月の受講期間中、素直に愚直に学びました。

さんざん情報商材や塾を途中で投げ出した私ですが、この講座は実力が身につくことを実感できるうえに、分かりやすく学ぶのが楽しいので自然と続けられ、10ヶ月はあっという間でした。

そして、認定試験。

密かに一発合格を狙っていましたが、結果は一次試験に合格するも二次試験不合格。
しかし、大きな収穫がありました。

講師から、
「今回の一次試験は過去にないくらい接戦で、迫力のあるコピーが多かったですが、その中でも岩田さんのコピーは他の受講生より明らかに優れていました。」

そう言われた私は、自分のコピーに自信を持ち、認定試験に受かる前にセールスライターとして営業をかけ、トントンとセールスレターの仕事をいただけるようになったのです。

さらにラッキーなことに、美容系の会社から月額で固定報酬をいただき、コピーだけでなくWEBマーケティング全般を任される仕事をいただけるなど、フリーランスにとって最も大きな壁である実績ゼロの壁をあっさり破ることができたのでした。

合格率1%以下の超難関試験に合格

セールスライターの仕事を始めながら、ECC認定試験にも挑戦し続けました。

受講当初からの目標だったので、
「自分で決めた目標すらクリアできない人間に説得力などあるはずない、そんな人間に仕事がくるわけがない」
そう思い、合格するまで絶対に諦めるつもりはありませんでした。

とは言え、試験は相当難しく、延べ200人以上受験する中、合格者はわずかに1人だけでした。
すでにセールスライターで活躍している人が何人か挑戦しても合格できないほど難関です。

私と同時期に受験した人たちも、あまりに難関なためみんな諦めてしまいました。
そんな中、私だけは諦めずに挑戦し続けたのです。

試験は、一次と二次に分かれていて、一次試験は、ECCさんから実際に販売されている講座のコピーを書き、講師が一定のレベルに達していると判断したら合格(この時点で10人中1~2人しか受かりません)。
二次試験は、そのLPで広告を打ち、レスポンスが良ければ合格となり、ECC認定セールスライターとしてECCさんから仕事をもらえるようになります。

私の場合、一次試験は8回受けて6回合格。
おそらく最多だと思います。

しかし、二次試験でレスポンスが悪く、何度も何度も跳ね返されました。
自分では渾身のコピーだと思ったものでも、いざ、広告を出すと散々な結果ばかりでした。

しかし、逆に私の心に火がつき、今度こその思いが私を成長させてくれたようで、試験を受けるたびにコピーがうまくなっていくのが実感できました。
それと、毎回試験を受けるたびに、講師からレビューが送られるのですが、これも私を大きく成長させてくれました。

8回受けたことも、レクチャーを8回もしてもらえたわけですから、むしろラッキーだったかもしれません。

そうやって、実力をつけながら約1年かかって合格。
晴れて2人目のECC認定セールスライターになった今、仕事が一気に増え、単価の高い大きな仕事がどんどん入ってくるようなりました。

やはり、ECCさんの仕事を請け負っているという実績が大きいようで、本当に頑張って良かったなと思います。

自分でも自信を持って仕事を請け負うことができますし、実際、0.8%のCVRを6%に引き上げたり、年間2名しか申し込みがなかった案件が、月間10名以上申し込んでくれるようになったりと、納得いく結果も出せるようになりました。

もちろん、まだまだ満足できるレベルではありませんが、収入も自由な時間もそこそこ増え、レベルの高い人達と一緒に、やりがいのある仕事をしながら充実した生活を送っています。

商品が売れない悩みを私の文章でもっともっと解決したい

セールスライタの私ができることは、
「良い商品なのに売れずに困っている人を私の文章で助けること」
これだけです。

文章でセールスすることが主流のwebで商品を売るのに最も重要なファクターは、紛れもなく文章力です。
文章を優秀なセールスマンに変えることができれば、ケタ違いの収入を得ることも可能になります。

しかし、文章が苦手な人がとても多いのが現実ではないでしょうか?
拙い文章では、商品の魅力が伝わりません。

商品の魅力が伝わっていないのが原因で、良い商品なのに売れないのはとても残念なこと。

もし、心当たりがあるなら、私が変わりに売れる文章を書きます。
ぜひ、売上アップに貢献させて下さい。

そして、私の書く文章が、良い商品なのに売れずに困っている人の役に立つならこんなにうれしいことはありません。
「ありがとう、おかげで売れるようになったよ」 と言われたら最高です。

感謝のインフレを起こしたい

私はある人からの教え、
「人に感謝する気持ちはすごく大事だけど、人から感謝されるよほうがもっと素晴らしい」
これを大切にしてきました。

「そのためには、まず自分が感謝の気持ちを忘れずに人間的に成長しないといけない。
そして相手のことを他人事でなく、自分事で考えられるような人間にならないといけない」
とも教わりました。

そして、
「感謝されればこちらこそ感謝したくなるし、もっと何かをしてあげたくなる。
そうなると、感謝という良いエネルギーが大きなスパイラルになって循環し、感謝のインフレが起きる。

そうすればその先に不幸などあり得ず、あるのは幸せしかない。 これこそが狙いだ」
とも。

素直に素晴らしいと思います。

正真正銘、典型的なダメ人間だった私ですが、過去ド底辺のような苦しい人生を経験するなかで、多少なりとも人間的に成長したようです。
こんなふうに思える様になった今の自分に素直に喜びを感じています。

そして今では、私のようなダメ人間が普通の人間に成長するためには、どん底まで落ちるほどのショック療法が必要だったんだなと、ド底辺のような過去の人生さえ感謝できるようになりました。

ド底辺だった頃から比べると、文字通り雲泥の差ですが、今では、人から感謝されるような人間になりたいという欲求も芽生えてきました。

そして、
「私も感謝のインフレを起こせるような人間でありたい、そういう仕事をしていきたい」
そういう思いを持ってセールスライターの仕事をしています。